陰湿な負けず嫌い

僕は負けず嫌いだ.

だけど,とてつもない努力家というわけでも勤勉というわけでもない.

 

僕はほんの少しだけ鳥に詳しい.日本の市街地や郊外で見られるような野鳥ならだいたい目視で同定できる.鳥の生態についてもちょっと知ってる.何か研究するなら鳥の研究がしたいと思っている.

しかし,僕は今,修士で院にいるが鳥を扱っていない.

 

それは負けず嫌いだからである.

 

僕は鳥に詳しいが,所詮は ”にわか”(幼稚園のときから鳥を見てきたけど)でそこまで熱意があるわけじゃない.僕なんかよりずっと野鳥に関して広く深い知識を持ってる同年代のすごい人は沢山いる.そういう凄い人がいることを知っている.

 

つまり,鳥関係の研究分野に行ってしまうと,僕は得意分野で敗北することになる.僕よりずっと優秀で博識で熱意溢れる鳥人(超)たちに,自分の中ではわりかしできると思っている分野で,その差を見せつけられることになる.

 

だから負けず嫌いの僕は鳥の研究には行かなかった.

 

例えをあげるなら,剣道の選手が剣道の試合で負けるのは悔しいものだろう.しかし,剣道の選手がアーチェリーの試合でアーチェリー選手に負けたとしても,それはそこまで悔しくない.そもそも専門が違うのだから,負けて当たり前なのだ.

 

それで,僕は陰湿な負けず嫌いであるのだ.